は じ め に

 『健康』のための運動とはいっても、漠然とした『健康』というだけでは、必ずしも長期にわたって継続することは容易ではありません。「やせるため」とか「キレイに泳げるように」とか「腰痛の予防」といったハッキリとした目的も必要でしょう。そんな目的に適うように、各章毎にテーマ設定をしています。


第1章 人間とカラダと水泳
●呼吸と水泳・・・1

 当たり前のことですが、顔を上げたときに吸い、水中で吐きます。
他のスポーツにおける呼吸を考えるとヨガや太極拳、フェンシングなどは、理論的に“正しい”呼吸方法が強調されています。
ツアープロそれ以上にゴルフ学校の経営やレッスンプロ、人気漫画の原作者として有名な坂田信弘プロは、“気”という表現で呼吸方法がスイングに及ぼす影響の大きさについて力説しています。坂田プロは、ジャンボ尾崎や丸山のようなトッププロとは言い難いのですが、そのゴルフ理論には定評があります。ボクシングでも呼吸とパンチとの相関は関係者によって説明されています。

 顔を水中に入れて行う水泳では、「息を吸える」ことが大きなポイントです。
特に息継ぎを楽に行えるようになることが、泳げるということでもあります。明らかに「水上で吸い、水中で吐く」という
呼吸の明確化があるが故に、「吸えれば良い」という考えが支配的になり、呼吸とストローク技術との関係はなおざりになってきてしまったのかもしれません。水泳では、呼吸(吸気量)の量が直接浮力にも大きく関わりますから、他のスポーツ以上にその重要性について真剣に考えなくてはいけません。

 基本的には、水泳中は口から吸って鼻から(一部口からも)吐きます[写真@]。背泳ぎやクロール、ターンなどで、鼻から水を吸って苦しい思いをした経験は誰にでもあります。単に苦しいだけでなく、水が耳への通路である“耳管”に入ると中耳炎になったり、平衡機能の失調を招くことがあります。
 口から吸って鼻から(一部口からも)吐く正しい呼吸方法を身につけましょう。


●呼吸と水泳・・・2

 水泳中は、決して息を止めません。
吸気後、止めることなく換気量の25〜30パーセント程度までを徐々に吐き、次の吸気の直前に残りを一気に吐き出し、その反動で吸います[グラフ1]。

 この割合は、泳法や泳ぐ距離、スピードや個人差によって若干変わります。 
種目で見ると、背泳ぎ⇒クロール⇒平泳ぎ⇒バタフライの順でより爆発的になります。1(ワン)ストロークの中で泳速の加(減)速が大きいダイナミックで力強い種目ほど力の発揮にメリハリが必要です。そのような種目の方が呼吸も爆発的になります。
 長距離よりも短距離種目の方が爆発的です。短距離レースの方が爆発的な短時間決戦です。筋肉の収縮が爆発的であるほど呼吸も爆発的です。
 練習中よりもレースでの方が、より爆発的です。筋肉の収縮が練習よりもレースでの方が爆発的だからでしょうか?
 また、一般的には初心者レベルでは息を止めてしまいがちですし、逆に上級者では最初から多めに吐いてしまう傾向が認められます。息継ぎ練習中のごく初心者は水中で息を吐けません。そんなことも影響しているのかもしれません。初心者では息を止めないように、逆に上級者では息を吐き過ぎないように注意が必要です。

 種目毎や距離、熟練度などによる傾向が分かりました。なぜ、「止めることなく徐々に吐き、吸気の直前に残りを爆発的に吐く」のかをもう少し細かく見ていきましょう。


●呼吸と水泳・・・3

《呼吸と浮力》
 水泳では、カラダを高い位置に保つことが効率良く泳ぐ上で大切です。実際、競泳トップ選手では、カラダ全体が水の上に出ているような印象さえ持ちます。浮力の大きさの如何はスピードに大きく影響します。肺という浮袋は沢山の量の空気を貯め込んでおくと浮力が増します。その為には、息を吐かず、次の呼吸(吸気)の直前まで貯め込んでおいたほうが有利です。

《筋の粘弾性》
 筋肉は、ゆっくりとした伸展ではゆっくりと収縮し、速い伸展では素速く収縮するという性質があります。これは筋肉の反射機能の一つですが、“粘弾性”といいます。即ち、ゆっくりと息を吐くとゆっくりしか吸えませんが、速く吐けば速く吸えるということです。当然、少しでも多くの空気を素速く吸うに越したことはありません。

 “浮力”と“粘弾性”という側面から見ると、息を止めておいて吸気の直前にまとめて“爆発的”に吐く呼吸法が良さそうですが……。

《血圧》
 呼吸の仕方は血圧の値と大きく影響し合います。息を止めると、心拍数は低下し血圧は上昇します。単位時間当り(一般的には1分)の心拍出量(心臓からカラダに送り出される血液量で呼吸による空気換気量に比例)は1回拍出量と心拍数との積で規定されますから、心拍出量を一定とすれば心拍数の低下は1回の拍出量増加で賄わなければなりません。1回拍出量の増加=血圧の上昇です。従って心拍数が低下すると、結果血圧は上昇します。もともと低血圧の方でも同様です。子供と比べて程度の差こそあれ動脈硬化の進んでいる中高年者にとって、血圧の無用の上昇は大きなリスクとなり得ます。血圧を上げないためには呼吸を止めてはいけません。


●呼吸と水泳・・・4

《血流》
 スムーズな血流は、酸素の隅々までの運搬と老廃物質「乳酸」の除去分解を早めるという意味において極めて重要です。筋肉が収縮しているときや呼吸を止めたときには血流が滞ります。スムーズな血流を促す意味でも呼吸を止めることなく泳ぎます。

《呼吸相》
 耳慣れない言葉ですが、呼吸サイクルは「吸気相」と「呼気相」とに分けられます。「吸気相」とは、息を吸い始めてから吐き始める直前までの相を言い、「呼気相」とは、息を吐き始めてから吸い始める直前までの相のことです。
様々な研究によって、最大筋力や瞬間的なパワーを要する動作(パワーリフティングやウエイトリフティング、砲丸投げなど)は「吸気相」で行い、スピードや正確さをより求められる動作(弓やフェンシングなど)においては「呼気相」で行われることが分かってきました。
「当れば飛ぶけれど、何処に行くか分からない」アマチュアゴルファーや、“一発”はあるけれど三振も多く打率の低いバッター。これらは、吸気中や吸い終わったところで息を止めてクラブ(バット)を振っています。長打は無いけれどアベレージヒッターといわれる人は、吐きながらまたは吐き終わったところで打っています。良いボクサーは、相手にじわじわとダメージを与えるジャブやボディブローは呼気相で行い、とどめのストレートパンチなどは吸気相で繰り出すといいます。弓道(アーチェリー)では、構えた後ゆっくりと息を吐き、吐ききったときに矢を放ちます。

 水泳はどちらかというと瞬間的なパワーというよりは反復性もあり、スピードや正確性を求められますから、動作の基本は「呼気相」で行われるべきです。

 以上“浮力”“粘弾性”“血圧”“血流”“呼吸相”などの要因を考えると、『息は決して止めず少しずつ吐き、吸気の直前で残りを爆発的に吐く』べきであることが分かります。